山手線
山手線の内回りと外回りがどっちがどっちなのか、そんなことに迷う日々に終わりが訪れた。
「電車も左側通行だと考えろ」
これで完璧に理解できた。円を描いて、その線上の左側(内側)が東京→上野方向=内回り、右側(外側)は上野→東京方向=外回り、となる。
なんで山手線なの?
「山手」(やまのて)の理由が気になった。
江戸は大雑把に東西で「山の手」と「下町」に分けられていた
地理院地図 で東京の標高データを表示すると、色が緑色の台地と色が青っぽい低地に分断されていることがわかる。この緑色の台地が山の手で、青色の低地が下町だ。
山の手線の駅名がいくつかうっすらと表示されているが、山手線が山の手を主に走っていることが確認できる。品川〜上野あたりは下町と山の手の境界で微妙なところだが、もともとの山手線にはこの区間は含まれていなかった。
http://rp-tj.blogspot.jp/2015/04/yamanoteline-route-map.html の路線図:
東京環状・JR山手線1 の説明がわかりやすい:
JR山手(やまのて)線は大崎駅を出て渋谷駅、新宿駅、池袋駅、
田端駅、上野駅、東京駅、品川駅と通り、大崎駅まで一周する環状線ですが、
田端駅から東京駅までは東北本線(宇都宮線)、
東京駅から品川駅までは東海道本線(東海道線)になっているので、
実際は品川駅から渋谷駅、新宿駅、池袋駅を通り田端駅に至る路線が山手線になっています。日本鉄道が上野駅から高崎駅まで開通する際、
東京駅から発着している官設鉄道(のちの国鉄)に接続することを考えていたのですが、
上野~東京間の開通は困難と予想されたため、
暫定的に品川駅から山手側を迂回して赤羽駅に至る路線を建設したのが最初です。
更に明治36年、支線として池袋駅を開設してそこから田端駅まで至る路線を造りました。
明治39年には国有化され、路線名が山手線になりました。