泣くということ
あなたが最後に大泣きしたのは、いつですか?
もう何年も・・・なんてこともあるかもしれません。
泣くとはどういうことでしょう。
摂りすぎた水分や体内の物質の濃度を調整するためには尿が出る。
暑くなった体温、熱を調整するためには汗が出る。
涙は、溢れる感情を調整するために出る。
扱いきれない感情を涙に溶かして、涙として体の外に出す。
台風が空気中の汚れを吹き飛ばすように、たまには大泣きして心を掃除しても良いのではないか。
感情を外に表現するためのパイプが詰まってしまっている人は、大量に流すことで詰まりをとっても良いのではないか。
私は泣くことはどこか癒しだと感じている。
台風の去った後の外の空気を吸うような心地よさをもたらしてくれると。
あなたが最後に涙で外に流した感情は、何でしたか?
スピリチュアル嫌いの変化
私はスピリチュアルが嫌いというか、苦手だった。
宗教も苦手なのだが、仏教・キリスト教・イスラム教、何れにしても多数の信者が存在する。それは一定の安心だと感じていた(これは赤信号みんなで渡れば怖くないの発想だが)。一方のスピリチュアルはローカル性が強いと考えていて、より慎重にみないと危ういと感じていた。
危ういとはなにか?それは戻れなくなってしまうこと。
プログラムを作ったことがあれば、人間も一種の高度なプログラムと考えてしまう。今の自分があるプログラムで動いていると仮定して、「危うい」というのはそのプログラムをアップデートして、「なんか妙だな?」と感じる機能が消されてしまうこと。狂信的な信者というのはそういう状態だと思っている。疑う機能を無効にしたプログラムをインストールされてしまった状態。
自分が実行しているプログラムをチェックするプログラムが動けるようにしておかなければならない。「信じる」ことは、この仕組みを破壊しない範囲で、十分にチェックされたものだけをインストールすること。安易に信じることはウィルスかもしれない実行ファイルを安易に実行することに近い。
スピリチュアリティに溢れる人に接して、その教えを受けて今自分がどうなったか。
スピリチュアルに対する単純な拒絶というものはなくなった。
それを安全と思うレベルで受け止めることができるようになった。
どういうことか。
スピリチュアルを「虚数」や「量子力学」と同じ様なものだと考える様にした。
なにか本能的には受け入れられない気持ち悪さがあったとしても、それは現実に役に立つ。無くてはならないほど役に立つ。そういう位置づけ。
だから、全面的にスピリチュアルに染まっていて、疑いもしないような話し方には相変わらず気持ち悪さを感じるが、「そう考えると楽に生きられるよ」という取り入れ方はありだなと思う。2乗して-1になる虚数「i」はそれを習うまでの考え方からすると気持ちが悪いのだが、それがあるものとして考えるといろいろなことに説明ができる。だから「理解が追いつかないだけで存在するのかもしれない」とある程度受け入れる。そんな感じ。
2本のつながりで人間関係を考える
新しい職場環境で「なんとか役に立つ人だと思われたい」と必死になる。
この理由を発見した。
真我とかエゴとか左脳とか右脳というのははっきりそうだと言ってる訳ではない。
なんとなくそういうイメージが合うだろうという程度のこと。
大事なのは「人間関係」は2本の異なる種類の線で作られているということ。その線の接続元・先も2種類ある。
1本は利害関係と言えるもの。あらゆる思惑、役割がこちらになる。
- あの人と関係していると儲かるから
- あの人は私の役に立つから
- あの人は私の知らないことを教えてくれるから
- あの人は私にいろいろしてくれるから
- あの人は私を褒めてくれるから
- 私はあの人にとって必要なんだ
- 私のあの人の役に立っている
もう1本はそれより深い関係。存在そのものを必要としている。
「なんとか役に立つ人だと思われたい」というのは1本目の「利害関係」を太くしようとする発想だ。
新しい職場では人間関係は無い状態からスタートする。2本ともないか細い。
この関係が切れない様にしたいと思った時にどういう力の入れ方をするかということ。
仕事で力を見せる。飲み会とかの交流には参加したくない。飲み会での交流が「存在」というレベルと直結するわけではないが、姿勢に現れている。2本のそれぞれを太くしようという発想ではなく、関係を1本で維持しようとするから、1本を太くすることに躍起になる。1本が傷つかないように神経質になるし、場合によっては自分を犠牲にしてでも守ろうとする。
仕事で力を持つことは大事。けれど、私はもう1本「柱」をもち、それでも人と繫がろうとしなければならない。
特別な存在であるために自分の管理を徹底する
現在の会社に新卒で入社して以来11年強、知らず知らずのうちに意識に染み込んでいっていたことがあると最近気がついた。
現在師事している先生は「あなたが特別なプロフェッショナルであればあるほど、あなたの代わりを頼める人は居なくなる。だから自分の管理を徹底しなさい。」と教えている。途中まではこれまでの社会人経験上もわかる。だが後半は違う。会社では「だから仕事を属人化するな」「ノウハウをアウトプットしろ、ドキュメントにしろ、共有しろ」「体系化しろ」となる。
あまりにシンプルな教えでびっくりする。「休むとき代わりの人はいない」という問題に対して「休むな」という教えなのだ。そして休まないためにどうするか、に力を使う。「あ、そういう考え方、あったんだ」と目が覚めた。
ダイの大冒険のハドラーが本当に格好よい
ダイの大冒険、もう20年ぐらい前の漫画になりました。
今改めて内容を思い出すと、ハドラーがとても格好よく思える。
ポップの成長もすごいけど、ポップの成長は連続線というか急カーブながらも連続したものの結果のように思える。一方のハドラーは超魔生物化を境にしてがらりと変わる。見返すと同一人物なのか・・・というほど言葉が違う。
セリフメモ
- やつらアバンの使徒に勝てるのならそれでもいい・・・!! そうするだけの価値がある敵なのだと・・・俺は今更ながらに気づいたのだ!! ・・・地位も! ・・・名誉も! 生命(いのち)さえ もはや俺には不要!!!
- 己の立場を可愛がっている男に真の勝利などない! ・・・これはおまえたちの師がオレにも遺してくれた教訓だッ!
- 勝ちたい この生命(いのち)にかえても!! いや 知りたいのだ すべてを捨てて最大限にふりしぼった時の己の強さはどれほどなのかを・・・!! ・・・強さというのは空しいものだ いくら上げても上には上がいる 竜の騎士・・・バーン様 オレはどのレベルにまで達することができるのか 見当もつかん・・・
- だがアバンの使徒どもの力だけは上回ってから死にたいものだ (中略) このままヤツに負けっぱなしで死ぬのはがまんがならんわ・・・
- オレをなめるなァッ!!! 大魔王ォッ!!!!
- どうせオレが死んだらそいつらも生きてはおれんのだ! 我らハドラー親衛騎団は一心同体!! その目的はアバンの使徒だけだっ!! 目的のために死を恐れる者などオレの部下には一人もおらんわぁっ!!!
- オレのとるべき道はひとつしかない! 最もオレの心を湧かせてくれる者と戦って自らの生きた証を見せることだ!!
- 思えば魔王軍六大団長は最強のメンバーだった だがダイたちに勝つことはできなかった・・・ 指揮官であるオレの心に野望と保身以外の感情がなかったからだ・・・!
- さぁ いくぞっ!!! おまえたちの忠誠に・・・この一太刀で応える!!!!
- 神よっ!! 人間の神よっ!!! 魔族のオレがはじめて 祈る・・・!! もし本当に・・・ おまえに人命を司る力があるのなら こいつをっ・・・!! この素晴らしい男だけは生かしてくれっ!!!
- 素晴らしかったぞオマエの残した弟子たちは・・・! オレの生き方すら変えてしまうほどにな・・・!!
- ポップよ・・・ お前たち人間の神というのも・・・中々粋なやつのようだぞ オレの生命とひきかえに・・・ オレがかつて奪った大切な者をお前たちに返してくれた・・・ そのうえ・・・ オレの死に場所を・・・ この男の腕の中にしてくれるとはな・・・
アロマテラピー検定向けの勉強
14日のアロマテラピー検定向けに勉強。
2日ほど集中的に取り組む。
問題集をやっていて「科名と抽出部位を覚えてないとあかん」と、そこの暗記をまずやった。
精油の名前と香り自体は把握していたので、それに科名と抽出部位を追加する形。
ハーブ系はほぼ全部「シソ科」なんだね。ラベンダーすらシソ科とは!でもゼラニウムはフウロソウ科という変わり者。
精油については生活の木の販売している「エッセンシャルオイル入門セット」の並び順にリンクして記憶している。
2級の上段の真ん中はジュニパーベリー、下段の一番右はローズマリー・・・という具合。
並びで覚えていると「ここにある精油」とか「あれ、なんか抜けてるな」とか、そんな記憶の使い方ができる。
「この香りは・・・」と順番に「2級の上段・下段」「1級Aの上段・下段」・・・とマッチングしていくと、しっくりくるものがあったり。
漠然と20, 30個を覚えて羅列するのは難しい。この並びベースで覚えるのが私には合っていたようだ。
区別が難しい精油
- オレンジ・スイートとグレープフルーツ (簡単そうなのに間違える)
- ユーカリとローズマリー (1.8シネオールが強烈。ローズマリーのカンファーで気分が悪くなるまで吸い続けるという方法を見いだしたと思ったが失敗)
- ネロリとベルガモットとフランキンセンス (優しくどことなく高貴なものたち。比べるとわかるのだが、1個だけ渡されると間違えやすい)
- スイートマジョラム (特徴が見いだせない。何の特徴も感じられなかったらマジョラム・・・)
こんなことを書いていたら5/14の1級試験でフランキンセンスとスイートマジョラムでだいぶ迷わされた。フランキンセンスは乳香と呼ばれるだけあって、なんというかクリアなイメージ。試験の香りはクリアとはいえない「ざわめき」があったのでスイートマジョラムだと判断。合ってるかな。
人の目を気にすること
人の目を気にすることの弊害・・・失敗を恐れること。
自分が失敗することを人に見られるのが嫌だ?
嫌だが・・・それはなぜ?
できない自分を知られたくない?できる自分だと思われていたい?
なんであれ、自分がしたいことを、失敗すること、
しかも失敗することを人に知られることを恐れて、しないのならば、
それは大きな後悔を生む。
失敗はべつに罪じゃない。間違いも罪じゃない。
失敗や間違いを恐れて何もしないことが失敗であり間違いなのだ。
自分がしたいならすればよい。人の目を気にする必要はない。
自分の人生劇場の観客席があるとすれば、S席・A席・B席・C席・・・とあるうちのどこまでを意識するか。
自分はS席をも上回るSS席の観客、家族がS席、日常関係する人たちがA席・・・
一番の観客である自分が満足出来ない「出来」の人生にしてはいけない。